吹田くわいの保存運動

吹田くわい吹田くわいが吹田の名産であり、貴重な「なにわの伝統野菜」でもあると理解されている市民の方は、最近急速に増えつつあります。しかしこの貴重な植物も、戦後の宅地開発や除草剤の多用によって昭和30年代には「幻の野菜」といわれるまでの絶滅の危機に瀕していました。

もともとお米のような栽培植物ではなく、田んぼの雑草としてはえていたものを、お米の収穫後に副産物として採集していたので、農家の人々にとってはそれ程大切なものとの思いが少なかったのかも知れません。

しかし戦前の小学校の修学旅行で伊勢神宮に詣で、外宮の農産館で吹田くわいの展示を見て、子供心に大切さを印象づけられた方や、正月のお節料理にと自家用に別に栽培されていた方がいらしたことが幸いして、吹田くわいは絶滅から救われたのです。

桶沓(おけぐつ) 深い湿田に入る木製の長靴(国立民族学博物館所蔵

桶沓(おけぐつ) 深い湿田に入る木製の長靴(国立民族学博物館所蔵

 

吹田くわいを掘るくわ(吹田南小学校郷土農具館提供)

吹田くわいを掘るくわ(吹田南小学校郷土農具館提供)

昭和38年頃、そのきっかけを作ったのは、南吹田の主婦、木下ミチさんです。自宅で発見された吹田くわいを、関西大学文学部教授であった金子又兵衛先生に相談に行かれたのです。先生は江戸文学がご専門で、吹田くわいのことをよくご存知だったので、大事に育てるように話されたのが保存運動の始まりでした。また吹田の歴史の著書もある大阪市立大学教授であった亘節(わたりみさお)先生も加わって、マスコミを通して広く報道され、急速に吹田くわいの名が広がりを見せたのです。
その後運動が一つにまとまって、昭和60年に「吹田くわい保存会」が結成され、以後吹田くわいを「歴史と文化」があり、「学問的な裏づけ」があり、清浄な水質でしか生きられないという 「環境を考えさせる郷土の宝物」として守り、普及のために尽力されています。

吹田くわいの栽培法→

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