書物に見る吹田くわいの歴史

「五畿内産物図会」第1巻挿絵(大阪春秋第111号おおさかの伝統野菜より)

「五畿内産物図会」第1巻挿絵(大阪春秋第111号おおさかの伝統野菜より)

※文化8年(1811年)には摂津美也計毛濃に宮前大根、本庄茄子と共に吹田くわいが描かれています。

吹田くわいの記録が見つかるのは今から300年前の1701(元禄14)年、岡田渓志の「摂陽群談(せつようぐんだん)」という案内書です。その後、貝原益軒の「大和本草(やまとほんぞう)」、寺島良安の「和漢三才図絵」、小野蘭山の「本草網目啓蒙」、岩崎灌園の「本草図譜」など、著名な本草学者の著書に記載され、「吹田くわいは苦味がなく、甘味があり、栗のような味がする。」と一様に述べられています。

江戸時代の食通としても有名な狂歌師、蜀山人(太田南畝)は、銅座役人として大坂に滞在していた年の体験を江戸に帰ってから思い出として、大坂での一番おいしかった食べものを「思い出る 鱧の骨切りすり流し 吹田くわいに天王寺蕪」と歌っているほどです。

江戸時代後期の歴史家、漢詩人、文人、陽明学者である頼山陽(1780~1832)は、母親の希望で、わざわざ吹田くわいを取り寄せて食べてもらい、喜んでもらったという親孝行の話も残されています。また、豊臣秀吉が伏見城にいた頃、吹田くわいの珍味を聞いて摂津鳥飼産のものを取り寄せ、京都東寺の土居(堀)に植えて栽培したとの記録があり、これが京都の名産として「東寺くわい」と名付けられて現代にまで引き継がれています。
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