吹田トリビア

吹田トリビア

吹田市内には太陽の塔以外に岡本太郎の作品が2つも存在する?

見つめ合う愛1つ目は、ダスキン本社2階の公開空地の外壁の一部に縦8m、横4.5mの陶壁画として設置している「みつめあう愛」。同作品は、昭和57年(1982年)、ダスキンが吹田市内にレストランの開店計画を進める中、ロゴマークの作成を依頼したことがきっかけとなり、平成2年(1990年)、本社ビル竣工の際、陶壁画の作成を依頼し、誕生しました。インパクトのある二対の目がみつめあう情熱的な作品は、人や地域をしっかりと見て、また見てもらえる存在であり「地域社会と共に歩んでいきたい」というダスキンの願いにも合致する作品。滋賀県の信楽で作成された880ピースの焼き物を組み合わせたもので、使用した土の量は約13トンにもなるとか。

※23時〜翌午前5時の間は、ビルの敷地内へは入れません。

りおちゃん2つ目は、ダスキン本社ビルの向いにある豊津公園内に設置してある「リオちゃん」。以前は「江坂カーニバル・プラザ」の看板でしたが、2007年に閉店後、吹田市に寄贈され2011年に現在の場所に移されました。

万博記念公園の「太陽の塔」を含め、吹田市内の岡本太郎の3作品を巡ってみませんか?

↓以下<発行元:株式会社シティライフNEW「吹田本」「別冊吹田本」より引用>

日本初の缶ビールは吹田生まれだった!!

(左)容量350mlで価格は当時75円だった日本初の缶ビール(右)期間限定で発売された大阪万博の記念缶

(左)容量350mlで価格は当時75円だった日本初の缶ビール(右)期間限定で発売された大阪万博の記念缶

缶ビールの開発は現在のアサヒビール吹田工場の前身、大日本麦酒時代の吹田工場と東洋製缶が1936年に開始。その28年後の1964年9月15日に日本で初めて缶ビールが発売された。当時の缶の素材はスチールで、プルトップではなく、缶切りで開けるタイプだったとか。また、缶ビールが誕生したことで、さまざまなラベルも登場。1970年には大阪万博開催を記念し、太陽の塔のイラストが入った缶ビールも発売された。2つの貴重な缶は現在、アサヒビール吹田工場の工場見学で見ることができる。

世界各国で販売される正露丸は全て吹田で作られていた!

世界で愛されている正露丸。2015年にグッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受賞したパッケージには吹田市の住所が書かれている。

日本を代表する胃腸薬として知られる正露丸。なんと、海外にも流通しているその全てが吹田工場で作られていた。東南アジア諸国をはじめ、アメリカ・カナダでも販売され、創業以来全てを吹田工場で生産している。また、独特のにおいは天然由来の主成分「木クレオソート」のにおいで、工場では毛穴にまでにおいが染み込むため、従業員は入浴してから帰路につくという逸話も。

まだある!大幸薬品のトリビア

もともとはラッパのマークじゃなかった!!

ラッパのマークの変遷
ラッパのマークでおなじみの正露丸だが、初代は地球儀に「誠」のマークだった。また、CMでおなじみのメロディーは、兵士に食事を知らせる合図なのだとか。

ラッパ橋と呼ばれる橋がある!!

吹田工場前の神崎川にかかる「高浜橋」は、近隣住民の間では「ラッパ橋」の愛称で呼ばれている。

エースコックのこぶたは4代目だった!!

江坂に本社を構える、即席めんなどの製造・販売で知られるエースコック株式会社。企業ロゴや商品パッケージにも登場するこぶたは現在で4代目だった。1959年に初代が登場し、4代目になったのはそれからたった4年後。2001年には4代目がフルカラーとなり、現在でも愛され続けている。またおなじみのCNソングは、「エースコックのワンタンメン」ではなく「エースコックの即席ラーメン」という歌詞だっとか。

会社設立60周年を機に翌年同社のコーポレートマークを刷新。グローバルな企業を目指し、アルファベット表記となった。

エースコックグローバルロゴマーク 会社設立60周年を機に翌年同社のコーポレートマークを刷新。グローバルな企業を目指し、アルファベット表記となった。

歴代のこぶたの変遷

大阪ハリスト正教会に日本初のイコン作家が描いたイコンがある!!

イコンとは正教会の教えを表した絵のこと。ロシアでイコンを学び、日本初のイコン画家となった山下りんが、明治期に描いた貴重なイコンを大阪ハリストス正教会で見ることができる。また、100年以上前に制作された貴重なイコノスタス(イコンの壁)も必見!

(左)女流画家、山下りんが描いた「生神女マリア」のイコン
(右)昭和37年に建てられた「生神女庇護聖堂」

(左)女流画家、山下りんが描いた「生神女マリア」のイコン
(右)昭和37年に建てられた「生神女庇護聖堂」

岸辺南地下道にジミー大西の絵がある!!

市民によって壁に絵画が描かれた岸辺南地下道。その中にジミー大西氏と市民合作の絵があった。テレビ番組の企画で実現し、虹と竜巻を描いたとか。あなたも探してみては?

エスカレーターの右乗りは万博の影響!?

全国でもエスカレーターの右乗りは大阪の近隣都市のみ。その理由として、万博の際に国際基準に合わせたというのが有力な説。しかし、阪急電車が万博前に取り組んでいたという説や、万博は人がいっぱいでそれどころではなかったという説もあり、真相は謎のまま!?

市内に鉄道会社の車両基地が6つもある!!


国鉄が民営化される以前、国鉄が認定した全国に12ある「鉄道のまち」の中のひとつに選ばれた吹田市。特に吹田市には大規模な操車場と総合車両所があり、街の発展に大きな恩恵を与えた。現在はJR西日本、JR貨物、阪急電鉄、大阪高速鉄道(大阪モノレール)、北大阪急行、大阪市メトロの6社の車両基地があり「鉄道のまち」と呼ばれる所以となっている。
※阪急正雀工場の半分は摂津市

阪急関大前駅は6度も名前が変わっていた!!


阪急「関大前駅」は日本一名前の変わった駅だった。大正10年に「花壇前駅」が開業。その後、戦争や駅併合などの影響もあり、約40年間に6度も名前が変わっている。平均すると7年に1回名前が変わったことになる。昭和39年に現在の「関大前駅」になった。

※吹田本、別冊吹田本の本文中に「女学院前駅」と記載されていますのは誤表記でした。正しくは「女子学院前駅」です。

世界で初めて自動改札を実用化したのは阪急北千里駅だった!!


1965年から1971年にかけて、大阪大学、オムロン、近畿日本鉄道、阪急電鉄の4者が、自動改札機の開発と実用化に取り組んだ。1967年3月に界初の実用的な自動改札機が阪急北千里駅に導入され、国内外に広く普及するようになった。その功績は電気・電子などの分野において国際的に権威のある「IEEEマイルストーン」に認定されている。

JR貨物吹田貨物ターミナル駅は日本一長い駅だった!!

高層ビル「メロード吹田」から望む吹田貨物ターミナル駅。中央の道路のように見えるのが駅ホームで、約600mのホームが4面ある。

高層ビル「メロード吹田」から望む吹田貨物ターミナル駅。中央の道路のように見えるのが駅ホームで、約600mのホームが4面ある。
  

吹田駅・岸辺駅・千里丘駅の3駅にまたがるJR貨物吹田貨物ターミナル駅の総延長はなんと7,258m。3往復するとフルマラソンの距離を越えてしまうほどだ。主要線路数は26本。総面積は27.7ha、旅客列車も合わせて1日約280本が発着し、年間60万トンの貨物が積み下ろしされているというから、長さだけではなく貨物駅としての機能も日本最大だ。

2013年3月に貨物ターミナル駅として開業。鉄道貨物コンテナを扱うようになった。

2013年3月に貨物ターミナル駅として開業。鉄道貨物コンテナを扱うようになった。2013年3月に貨物ターミナル駅として開業。鉄道貨物コンテナを扱うようになった。

地球環境にやさしい貨物列車!!

ブレーキもエネルギーへと変換できるハイブリッド機関車

ブレーキもエネルギーへと変換できるハイブリッド機関車

ブレーキもエネルギーへと変換できるハイブリッド機関車ブレーキもエネルギーへと変換できるハイブリッド機関車
  

列車はトラックの約10分の1のCO2の排出量で済むうえ、関西エリアでは当駅にしかないハイブリッド機関車も導入。地球環境への負担軽減にも取り組み、国際規格標準であるISO14001を取得している。

周辺住民の生活にも配慮している!!

騒音を減らすため、駅の内側に向けられたスピーカー。列車が到着する際は、警報音ではなく、ガンバ大阪の応援歌「奇跡の絆」のメロディーが流れる。そのほか、警告灯を低い位置につけるなど、光が外に漏れにくい工夫も。